activityとvision~成長が止まるとき~

ものごとを為すとき、ものごとが為るとき、必ずその裏には前提が存在する。
前提とはそれが無ければ達成しなかったであろうといういくつかの要素の集合体である。
前提とは幾重にも重なるため、だれかの前提と自分の前提を時として見誤ることがある。
そして、その見誤りが自分を過大に見せ、何かを為したかのように勘違いさせる。

イベントは形になってきたが、その前提はあくまでも「学生」という自分と、
「職業体験」という社会的な要因でしかなかった。
その前提を無視して、activityで周りを固めれば、何かが達成されると思い込んでいた。

自分である必然性を表すvisionが決定的に欠けていた。自分の成果は自分の前提の上にしか
乗っからない。最近の仕事に対する集中力の無さは、自分の前提を考えることをやめてしまって
いたから。見かけを取り繕うためだけに、回数を重ねたりすることは作業に陥ってしまっている。

activityが大きくなればなるほど、自分の内側に対してvisionを問い続けなければならない。

言い換えれば、自分の前提を成果だけで補える有効期限はかなり短いということだ。
前に進み続けなければ、成長は簡単に止まってしまう。


未開の分野~第1人者に向けて~

同年代のみんなが就職を決め、何の疑問も持たず
卒論やりながら遊び呆けてる今日この頃。
俺はというと、世の中はもっと良くなるはずだと
考えながら、イベント演出だ、プログラム開発だと
自分の感じたものを貫こうと日々戦っている。

しかし、自分の成果物に対する周りからの批判や意見に
対してなかなか素直になれず、耳を貸そうとしなかった。
積み上げてきたモノが、社会にしてみりゃ、ちっぽけな
モノだと自分でもうすうす感じているから。

けれど、叩かれるのを恐れていては進歩は望めない。
だから、イベントやプログラムが形になってきた今、
それを武器にとりあえず教授とぶつかってこようと決心した。
学術的な分野において、各分野での地域の長(おさ)と戦いに…。

前例がなければ、周りからはなかなか理解されにくい。
理解できないものは敬遠され、拒絶される。

しかし、そこで踏みとどまって、学術的にも、実際の社会でも
理解できるくらい戦って初めて、その道の第1人者となる。

残りの半年と大学院の2年間、とことん戦い抜いていきたい。


成果主義~学生の猶予期間~

最近、大学の存在意義を考える。
そして、今出来ることと出来ないこと、
認められることと認められないこと、
大学生と社会人0年目の挟間を葛藤する。

大学が独立行政法人化され、それぞれの研究費を
自らの研究成果で確保する必要性が以前にまして
強くなった。
大学は行政や企業と連携して、それぞれの分野に
おいて新規的な事業を行う。システムの導入や設計、
マネジメント、コンサルタント業務が主となる。
(特に文系においては…。)

なぜなら、お金になるからだ。
研究意義よりも実用性の方が重要視される。

しかし、実用性のためだけなら大学以外でも
事業化は可能である。株式会社でもNPO法人でも。
確かに今は、教授の専門的な知識に匹敵する程の
組織はまだ存在しないが、そのうち時代は変わる。

大学でしか出来ない研究、枠組み作りが必ずあるはずだ。
そして、NPO法人だからこそ出来ることもある。

成果主義の中、本質的にどうあるべきかを議論できる。
学生の猶予期間のうちは、成果に引っ張られず、
自分が考える社会像をむしゃらに形作っていきたい。

経緯:
 教授と卒業論文の相談をした時にエビデンスの
話になった。経済学では、事業評価を行うとき、
outputの変化・改善がinputによって確かに影響
しているという証拠が必要である。対象が社会とか
地域とか広い上に、因果関係が明示的でないため、
そのエビデンスを検証し、プレゼンを行い、予算を得る。
俺はこのエビデンスが後付けの理由のように聞こえ、
なかなか好きになれない。そこまで確かな因果関係が
この社会に存在するかすら疑問である。
 しかし、社会はエビデンスを用いる経済学者たちに
よって動いている。監視や評価等の社会システムで
エビデンスが求められるのも十分わかる。
 自分なりの理論をしっかりまとめ、実際に行動・実践
によって試行錯誤できる環境があればどれだけ楽なんだ
ろうと思う。社会全体としては無理かもしれないけれど
部分的には、行動主義的な社会も作れるはずだ。
 誰がやったとか、社会的な意義とかじゃなく、
出来たもの、サービスが面白いかどうかで勝負したい。


イベント卒業~1年を経て、次のステージへ~

プログラム開発に重点を置き始めてから
何回かイベントを行ってきたが、卒業の時が来たようだ。

プログラム開発をやっていこうと思ったのは
ただのイベント(出来事)に思われるのが嫌だったから。

参加して何となく面白かったよねって、開催する側も、
参加する側も、いまいちはっきりしない。
確かに面白い、ためになる、今後も続けてほしい、
様々な声も寄せられる。が、どのイベントも同じだ。

俺がイベントに求めてきたのは、イベント開催側の
「本気」が、そのまま参加者に伝わること。
地域の職人の仕事だって、俺がイベント運営すること
だって、決して遊びじゃない。職人と一緒に議論しな
がらプログラムを考えるとき、力を注いだら注いだ分
だけ評価してほしい。しかし、イベントは浅く広くが
基本的であり、プログラム開発自体、評価されない。

そこで、イベントではなく教室形式でやっていく
ことに決めた。今は年間プログラムを作成している。

1年間が長いようで、あっという間だった。
イベントとは何か?に力を注ぎこみまくった1年だった。
おかげで、”イベント学”という程、学問並みに情報が
蓄積した。それも今後に活きてくる部分なのでしっかり
まとめていきたい。

いつまでも、がむしゃらに走っていきたい。


ぬるま湯脱却

結論
神経を研ぎ澄ますための俺のルールは「結論を真っ先に」
一番強く感じた気持ちをかき消していかないように
日々修行である。啖呵を切って、苦しい状況でも自分の
感情を曲げずに、気合いと根性で実現する。

経緯
院試のあとのブログを書いているときに、一般的にありそう
なことをこねくり回して、自己合理化の文章になっていた。
誰でも言えることを書き連ねたって何も意味はない。
そして、その言い回しで出来たふりをしている大学生、社会人
たちに腹が立つ。自分の感情を麻痺させ、ありきたりな対応で
場をつなぐことが自分自身の損失を及ぼしてはいないだろうか。
もっと厳しいところに自分を追い詰めないと、俺が死んでしまう。


本当にやるべきこと

「ふっきれた。合否よりも何よりも大事なのは自分を貫く
こと。それを行動力で示す。」

今日、院試が終わった。
終わったと同時に、引きずられるような反動が起こった。
大学院進学のために実用レベルを越えた勉強を無意識に
強制されていたことに気づく。

今本当にしたいことは社会に出て、ぶつかっていくこと。
そして、自分の企画提案により教育プログラムを作り、
地域にインパクトを与えること。

院試の大義名分を振りかざし、本当にやるべきことを
見失っていた。確かに勉強は後に経験となり、成長には
必要かもしれないが、それよりも今を等身大に生きて
こそ、全力でぶつかってこそ、成長が生まれる。

大学院進学が目的ではない。進学した上で何を為すか。
甘えていた自分を反省し、全力でぶつかれるステージを
社会のレールでなく、自身で切り開いていこう。


過去の膨大なる履歴~必然~

natural scienceシンポジウムに両親を呼ぶことを決心。
自分の積み上げてきた、今の集大成がシンポジウムだった。
それを見に来て欲しい。そしてちゃんと説明したい。

決心したはいいが、実はめちゃくちゃ怖かった。
手紙を出そうにも手が震えるし、あれだけ言語化してきた
はずなのに、文章は支離滅裂。だらだらと5枚も。
何を伝えていいのか分からない。

そして俺が1番怖いのは、何を言っても認められること。
「栄康の人生なんだから、栄康が決めればいい。」
子供にそうは言うものの、裏に隠れる親の莫大な不安。
親の常識や不安で子供がつぶれてしまうことへの危惧。
そして、子供への絶対的信頼感を偽りたくない恐怖。
全部ひっくるめての「お前に任せる。」

仕事に対する責任や成果の切り分けや何だとブログで
書いているが、そんなレベルを越えた切り分け。

家族以前に、お前は1人の人間で、1人の人生。誰かに口を
出されたからだとかではなく、自分で判断しなければならない。
子供のときから、幸か、不幸か、突きつけられた真実。

少なくとも20年間、一緒に過してきた家族。
人は必ず過去の膨大なる履歴の上に立っている。

その履歴と向き合うことは正直、足が震える。
あの時、ああすればといった仮定はない。必然として
今の自分がある。自分の生き方が正しかったのか、
そしてこれからどう生きていくのか。

ちょうどシンポジウムも終わり、そろそろ過去の履歴と
向き合う、いいチャンスなのかもしれない。
地面が固まったら、もう1段高く飛べる気がする。


本業と副業~揺らがない精神~

先日、宮城県農業園芸総合研究所に打ち合わせに行ってきました。
そこで買ったチンゲン菜とズッキーニ。合わせて120円。

今の社会の中で、本業と副業の存在。
1番大切なのは副業を副業だと割り切れるかどうか。

一般的にベンチャー企業は、手探り状態で様々な事業を行います。
社会に認識されるようになり、当たりが出るまで必死にもがきます。

私も近い将来、今の活動を企業するつもりです。おそらく
その紆余曲折の中で、ちょっと売れ始める事業も出てきます。
お金にはものすごい引力があります。
最初の高い志も揺れてしまう瞬間が来るかも知れません。
そこで等身大を貫けるかどうか。

宮城県農業園芸総合研究所では野菜の販売を行っています。
場所的には交通の便が悪いはずなのに、ひっきりなしに来る客。
中には腰の曲がったおばあちゃんまで坂を登ってやってきます。
野菜はスーパーに比べ、圧倒的に安い。

お客様が多くても県の施設だから、利益を求めていないのか。
それとも研究に誇りがあって、副業だと割り切れているのか。

どちらだとしても、お客様があれだけ来たとしても
揺らがずに、研究を第一に考えているのはすごいと思った。

目の前のあぶく銭には飛びついてはいけない。
常に自分の軸を貫き通さなければと再認識しました。


責任の切り分け~自分のやるべきこと~

natural scienceシンポジウムでの俺の役割は2つである。
・企業に踏み込んで、大人でも子供でも楽しめるよう、その企業の
本質的な要素を取り上げて、万人に対してのおもしろい授業を作る。
・もう1つは演出を工夫して、誰でも科学に気軽に触れられる会場を作る。
そして、空間的、時間的に俺が伝えたい”場”そのものを、そつなく運営する。

切り分けていなかった。それを認識したのはある企業との打ち合わせである。

「俺が現場と場作りのどちらに立っているのかを認識していなかった」
現場の人は自分と同じ分だけ苦労をしている”同志”にだけ心を開く。
そして、場作り、つまり同じ階層でない外部の人からの助言には過度に抵抗
する。自分の現場の成果を横取りされてしまうのを敏感に感じ取っているのだ。
   
今回、ある理系学生が、企業の分野と同じ研究していたので、理系学生と
企業とが議論して、おもしろい授業内容を作れると思い、ブースを一任した。

そこで失敗したのは任せた後の責任の所在を認識していなかったからだ。

俺は学生にブースを一任し、その時点で現場は学生に切り替わっていた。
俺は場作りの側。つまり、最後の打ち合わせで、いくら統括プロデューサー
を気取っても、決して授業内容には口を出してはいけない。
なぜなら授業開発段階は、理系学生と企業との現場なのである。
いつもは2つとも自分がやるので、立場が変わったのに気づけなかった。
  
一任したのだから、授業がおもしろくなかったなら、学生と議論し、
授業内容についてはしっかり責任を取らせればいい。
授業内容全てをすっぱり切り渡し、学生に責任を切り渡せないない
状況ならば、初めから任せてはいけないのである。

場作り側、特に現場の上に立って指揮を執るのだからこそ、必ず
責任の所在を明らかにしなければならない。

自分の役割は「授業開発」と「統括プロデューサー」の2つであった。


natural festival~結成してもうすぐ1年~

natural festival実行委員会は「自然の中で、自然を使って、自然を
体感しよう」をテーマに、四季折々の自然の中で、様々な分野の活動を
体験しよう!ということで結成された。

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俺が1番やりたいことは「昔の放課後の街並みを作る。」ことである。
学校の勉強は半ばに、八百屋、肉屋、時計屋、畳屋と様々な地域の
職人気質で仕事に誇りを持った人たちと”社会そのもの”を学ぶ。
野菜、肉のことだけでなく、礼儀作法も、物事の善悪も、友達や親との
関係も、働くとは何かについても、様々な地域の人々と交流しながら、
人生の生き方を学んでいけるような地域を作って行きたい。

自然とはその中の1つの地域リソースなのであり、1つの実施場所でもある。

natural festival実行委員会を結成して、最初は関係性ををぶち壊しながら、
血みどろの議論を重ねてきた。けれど自分の方針を必ず出し続けた。

やっと、1年近く経って、新しいステージが見えてきた。
natural festivalとは”自発的な、ありのままな、本質的なお祭りである。”
・自発的→何かを目的にした組織が、自分たちの力でイベントをやり切る。
・ありのまま→参加者に分かりやすくではなく、等身大の企画を実施する。
・本質的→等身大こそが、主催者も参加者にとっても本質的におもしろい。

そのようなイベントを行うために実行委員会として行うべきことは
・地域の人たちと議論しながら、それぞれの本質を活かした企画開発。
・地域の参加者が様々なイベントを楽しめるような運営(HPも含む)。
・地域関係者同志が本気で議論できるような場作り(協議会)。
・地域の人たちだけでイベントが企画・運営ができるような知財の集積。
・地域の企画・運営を補助できるだけのスタッフの育成。

1つ1つはすでにやっている。ものごとを始めるときに大切なことは
方針は必ず前出しにする。そして、言ったからには必ず実行する。
これを軸に、現在はホームページの改正案を練っているところだ。

成否を決するのはたった1つだけである。
『自分の存在する前提を理解し、いかに等身大で議論できるか。』


One for All, All for One